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デストルドーとは

扉絵

この『デストルドー』という言葉は

ちまたでは カードゲーム「遊戯王」や

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」でも知られています。

 

元々はオーストリアの精神科医フロイトが提示した概念でした。

 

今回は『デストルドー』について

心理カウンセラーの立場から解説します。

フロイトの基本的な理論

フロイトという人物については

「『無意識』を発見した人」と評されていることを

押さえておきましょう。

 

『無意識』とは、

人は自分で自分を意識的にコントロールしているかのようでいて

実は心の奥底にある無自覚なものにも左右されている

というものです。

フロイトの肖像
フロイト(1856–1939)

フロイトの編み出した心の治療法『精神分析』

「心の無意識にある事柄をそのままにせずに、

意識化をしていくことで

苦しさが解消される」という理論に基づきます。

 

『無意識』にある事柄の中でも特に

フロイトが注目したものはなにか。

それは様々な『欲求』それにまつわる『感情』です。 

なお、

『感情』などにより勢いのついた『欲求』のことを

『欲動(よくどう)』と呼びます。

 

そんな『欲動』を無意識に入れたままの心理状態だから

よく分からない心の苦しさが生じるとフロイトは考えたのだと言えます。

また、

時として衝動的なあらわれ方をするのでしょう。

 

意識化というのは、

心の現象を知識として分かっているだけでなく、

体験的に理解できていて自分のこととして受けとめられる

ような心理状態になることだと言えます。

 

もちろん、

この理論が当てはまる人もいれば、当てはまらない人もいる

という点については、充分な注意が必要です。

(ブログ >>心理アセスメントとは

デストルドーとは

かつてフロイトは

死を望む『欲動』『デストルドー』と名づけました。

それ以降、

フロイトも他の理論家たちも様々な角度から語ってきました。

例えば「破壊」「贖罪」「無かったことにする」などの意味を絡めてです。

 

古典的な理論における『デストルドー』には

より多くの含みがありますが、

私は「死を望む」ことが心にとって何なのかのみに注目して

次のように考えたいと思っています。

 

つらさがある時、

人は

「このつらさから逃れたい」と本能的に思うものとします。

その際、頭の中でなにか解決策はないものかと模索するのでしょう。

ふいに「死ねば逃れられるのではないか」と発想して、

そこから

死にたい気持ちや死を望む考えに結びつくと考えられます。

 

元々は「逃れたい」だったものも、

変換されて、「死」それ自体への『欲求』へと変わるのです。

ここでのポイントは、

「逃れたい」から「死にたい」へと

意味や目的、そして性質も変わっているということです。

 

つまり、

原点となった経験の意味や目的から切り離されて

『デストルドー』それ自体が意味を持ってしまうのです。

希死念慮とは

精神医学および臨床心理学の用語では

死にたい思いがあることを

『希死念慮(きしねんりょ)』と言います。

 

一生のうちのどこかで『希死念慮』を持つ人の割合は

決して少なくないと考えられています。

誰にとっても

様々な形で、つまずき、傷つき、苦痛を感じた際に、

「逃れたい」と考えを巡らせ、

ふいに「死んだらつらさから逃れられるのでは」と発想する

その流れ自体は自然だからです。

だとすると、今は『希死念慮』を持っていない人も

他人事ではないはずです。

 

『希死念慮』は「死にたい」であるとは限りません。

「消えたい」「亡くなった人のところに行きたい」

「自分みたいな人間はこの世界にいてはいけないんだ」

「生きる意味が見つからない」「つらさから解放されたい」

といった思いも含むと考えられます。

希死念慮とデストルドー

現代では議論がすたれたとさえも言える

『デストルドー』の概念を

あえて取り上げたのには理由があります。

それは、『希死念慮』と精神分析理論に接点を見出すためです。

 

『欲求』に『感情』が乗ったものを『情動』とするなら、

『希死念慮』に

ネガティブな『感情』の乗ったものが

『デストルドー』だと言えます。

 

それが心の中の『無意識』に収められてしまったとしたら

『欲求』に関してより衝動的になりかねません

 

『欲求』を『無意識』に置いておくよりも

意識化することによって苦しみが解消される

という理論を唱えたのもフロイトでした。

 

ここに、どう把握するか、なにに取り組むかの

ヒントがあるのではないでしょうか。

希死念慮を把握する

『希死念慮』や『デストルドー』の意識化には

おおよそ次の段取りがあると考えられます。

 

まず、『希死念慮』があるかどうか、

静かに自分自身の心に問うことです。

 

決して他者から強制されてではなく、

あくまで各人が「ある」か「無い」かを

判断していただければと思います。

なぜなら、意識化という心の作業は繊細で

他者からとやかく言われるととどこおることがあるからです。

 

次に、それが『デストルドー』になる時、

つまり心の中でネガティブな『感情』が

どういった内容であり

どんなタイミングで

どのように湧いて『デストルドー』に至るのかを

把握していくことも重要でしょう。

 

なお、『感情』は『理性』の働きを邪魔する性質があります。

『感情』が湧くよりも前の『不快』の感覚の時点で

早めに気づけるようになること助けになるはずです。

 

また、『感情』に限らず、

『気分』の不安定(うつ)や、『尊厳』の傷つき、

『喪失』の体験、その他の『欲求』

なども影響することを付け加えておきたいと思います。

 

そうした把握を通じて

心にかかる負荷を考慮しながら

徐々に意識化、すなわち

体験的に理解できていて自分のこととして受けとめられる

心理状態を実現していくのです。

 

心の中に「ある」と知っていること。

「あれ?今は高まってるかも」などと自分で意識できること。

地道に把握していきます。

翻弄される状態から抜け出す第一歩です。

ありのまま

心の把握では、できる限り、ありのままが大切です。

 

『希死念慮』が消せるかと言うと、

私の立場では「簡単には消せないことが多い」としか言えません。

ただ、

つらい時などに「死にたい、死にたい」となる心理状態から、

「こんな感じの時には『希死念慮』が出るのは分かってる。

衝動的にならないために工夫していこう」と

変化すること。

つらさを味わったり

時には自暴自棄な心境になる日があったとしても、

「ほら、また『希死念慮』が出た」と自覚しながら

少しでも『理性』を働かせて対処できる心理状態を目指します。

 

たしかに、

心の充足と言えるような

生き甲斐が見つけられたり、

信じられるなにかができたり、

心が落ち着いた状態が続くと

『希死念慮』の程度は下がり

『デストルドー』も収まるとは考えられます。

ですが、そんなレベルの高いことを

すぐには期待しない、求めないのが重要とも思われます。

 

『希死念慮』を持つのは

人として弱いからという理由ではありません。

持つ人は持ちます。

打ち消そうとしたり、ごまかしたりすれば、

無意識に押し込めるという逆効果にもなりかねません。

 

ありのまま。

心の中にあるものとして

体験的に意識化していくのが

基本的な方針だと考えられます。

 

そして、ありのままの自分にできそうな

『デストルドー』を実行せずに過ごす上手なやり過ごし方について

…これもひとに強制されてではなく、

探しておくと

どうしようもない気持ちの時の助けになるでしょう。

心理カウンセリングでは

川越こころサポート室では、

『希死念慮』や

それに絡むネガティブな『感情』などについて

ご相談を承ります。

 

『デストルドー』に翻弄されないために、

心理カウンセリングを通じて

心理状態や心の中の要素を把握し、

同時に受けるストレスや刺激についても把握していく

といった取り組みをいたします。

 

他では話しにくく感じる内容でも

話しやすい場をご提供します。

「心理カウンセリングに行けばありのままの心情を語れる」と

思っていただければ幸いです。

最後に

『デストルドー』という概念はとても幅広くて

簡単には語りつくせない理論です。

時と場合によって意味合いも変わることでしょう。

 

このブログに関しては

「死の欲求」にとりつかれた心理状態で

悩み苦しみ続けているそれぞれの人に向けて、

心理カウンセラーの立場で書いたものとご理解ください。

鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

>> はじめまして

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