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カタルシスの心理

扉絵

『カタルシス』という言葉をご存知ですか?

 

今日は、この言葉の意味を共有したいと思います。

カタルシスとは

『カタルシス』が心に生じると「心がスッキリする」と考えられます。

 

たいていは、一時的なもので、

出来事に対して起こる現象です。

 

そして、「心が浄化する」という意味もあります。

 

そう考えると、

「物事が全て解決して、もうスッキリした」

という現実の変化がメインなものでもなく、

「気分転換をしてスッキリした」

といった気持ちの切り替えというわけでもないと言えます。

もう少し、心からのことです。

 

『カタルシス』の体験というのは、思い当たりますでしょうか?

スーッとするような、心が浄化されるような

スッキリする体験です。

心にとって、良い体験だと言えるでしょう。

アリストテレス(紀元前384-322)

そもそも

演劇論に『カタルシス』 という言葉を持ち込んだのは

アリストテレスです。

 

アリストテレスは、

古代ギリシアに活動した学者です。

アリストテレス肖像画
アリストテレス

彼の師匠のプラトンや、

以前のブログで紹介したソクラテス

>>『心理ブログ』無知の知について 参照)が

思考の探求に重きを置いていたのだとしたら、

アリストテレスは

研究の面を評価されたと言っても良いのでしょう。

 

哲学や数学などは既にあったものの、

何かを体系的に収集や分類して研究するという発想がほぼ無かった時代に、

その基礎的な方法論を生み出した人物、

それがアリストテレスなのです。

 

 

それが、そのまま今も通用するのか?と言えば、

さすがに時代の流れというか、

その後の人類によって大幅に更新されてしまいましたが…。

カタルシスと心理学

では、『カタルシス』に関する心理学の研究は

進んでいるのか?

というと、

そんなに進んでいないように

私には思われます。

 

一方、

アリストテレスの時代から、

演劇、そして今の映画といった作品に関して、

どこにどう視聴者が満足するか、という点では

とても熱心に語られてきたテーマだと思います。

 

それでは、

心理学で研究が進まないのはなぜか。

理由はいくつか考えられるのですが、

憶測になるので、ここには書かないで先に進みましょう。

 

 

続いて

心がスッキリとする『カタルシス』の性質について

 どんな時に生じるのかという点で考えてみました。

3つ、順にご紹介します。

その1)何かが一致した時

何かが一致した時に、気持ちがスッキリしませんか?

 

例えば、

期待と現実が一致した時。

予想と結果が一致した時。

思いと表現が一致した時。

などなど…。

 

何かが『一致』した時に、カタルシスが生じるのです。

「腑に落ちた感覚」と言っても良いでしょう。

 

演劇論にこじつけてみます。

「主人公に幸せになって欲しい」と感情移入して観ているものの、

ストーリーは困難の連続でハラハラドキドキ、

でも、最後にハッピー・エンドが待っていたら、

観ていたその人の気持ちと物語の結末が一致します。

期待とエンディングの一致。

そこで感じるスッキリした感覚が、カタルシスです。

 

主人公が悲劇に終わるストーリーだったなら、

そんな無情は期待と一致しませんが、

世の中にある無情さや、

かつて自分が味わった無情な苦痛と符合して、

カタルシスが生じることがあるのだろうと考えます。

バッド・エンドでのカタルシス体験には

「そういう展開なら、その結末になるだろう」という意味での

一致』が必要なのかも知れません。

 

ポイントは、なにかしらの一致が腑に落ちる体験です。

その2)圧倒的な何かを見せつけられた時

圧倒的な何かを見せつけられたりした時に

湧きあがる感覚を

『感動』 と呼んでいます

 

例えば、

すごい景色を見た時。

心に響く演奏や歌声を聴いた時。

人間技とは思えない作品を見た時。

誰かの健気な姿勢に胸を打たれた時。

弱々しいながらも必死に動物が生まれた時。

荘厳な建物に踏み入れた時、など。

 

『感動』もカタルシスを生む心の働きと言えるでしょう。

 

もうひとつ加えるとしたら、

良い思い出が一気に蘇った時。

それもまた、

心理的に、溜まっていた細かい雑念が流れ去るようなイメージです。

つらい思い出にさいなまれるのは悩ましいことですが、

心のどこかには良い思い出が眠っていて、

思い出されるのを待っているのかも知れません。

 

これらは、単純に「すごいものだった」という感覚の体験であり、

細かい理屈は抜きなのです。

これも『高揚感』とともに心がスッキリするものです。

 

その3)発散した時

 

善悪や後先を考えないほどのめちゃくちゃな

『発散』によって

スッキリする現象があります。

『発散』によるカタルシスです。

 

もちろん、

「そういう無茶苦茶なのは好きじゃない」という慎重な人もいますが、

安全な範疇で発散できるなら問題無いでしょう。

 

「ストレス発散」という言葉もあります。

 

緊張や我慢からの解放です。

 

ただし、

「短絡的な憂さ晴らしの行為は含まない」と考えます。

ただの憂さ晴らしは心の「浄化」とは言えないからです。

 

演劇の場合、

ハチャメチャな喜劇や、バイオレンス要素、

常軌を逸した物語、がむしゃらなキャラクター、

スポーツを題材にしたものなどが

観ている人にも『発散』を味わわせると言えそうです。

発散は、しばしば秩序に反するもので、

フィクションだから許されることもあるでしょう。

 

心は意外と緊張や我慢を強いられていたりもします。

どんな形の『発散』が合っているでしょうか。

カタルシスと心理カウンセリング

心にも、「物語」というものが存在します。

ここでの「物語」は、人それぞれの人生のことです。

 

自分の人生の「物語」を再確認したり、

何度でも様々な角度から言葉で表現することで

得られるカタルシスもあるでしょう。

 

心理カウンセリングでは

自分自身の人生を語る面もあります。

ぜひ、思いのままに人生そのものを語って、

「浄化」と呼ばれるほどの

スッキリする体験を味わっていただけたらと思います。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

鹿野 豪

川越こころサポート室のロゴ

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