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ほめる・しかる論争

扉絵

「ほめて(褒めて)伸ばす」という言葉を

聞いたことがありますか?

 

ほめる(褒める)・しかる(叱る)に関する

ご意見は様々にあるでしょう。

 

近年、

「褒める方が良い」が優勢にも見えますが、

「褒めれば良い」と決めつけてしまうと

そこで考えがとまってしまいそうです。

 

今回は「ほめる・しかる論争」と題します。

 

初めに記しておきますが、

このテーマを主に専門として扱っているのは、

心理学は心理学でも

教育心理学であって、

私の属する臨床心理学ではありません

分野が違うので、

本来は私が語って良いものではないのです。

 

臨床心理の基本は

心を整えながら一緒に考えましょう」

というものです。

一方的に「こうすると良いですよ」というのは

心理サポートにおいてはご法度なのです。

 

ですが、そんな臨床心理の分野でも、

ひととの関わりについては

知恵がいくらかありますので、

あくまで参考としていただきたく

ブログを書いてみたいと思います。

褒めるについて

褒められると、気持ちが良いもので、

「もっとやろう」というやる気が湧いてきたり、

いわゆる『自己肯定感』や、『自己効力感』、『自尊心』にも繋がるでしょう。

 

ではその一方で、

褒めるの落とし穴は、

どこにあるでしょうか?

 

「褒められて増長(ぞうちょう)する」という言葉があります。

自分はすごいんじゃないかと

実際以上に勘違いしてしまうという話です。

 

油断しがちになったり

尊大に振舞うようになって、

それが性格にまで反映されていくのは

教育上も心配です。

叱るについて

叱られて

「これはいけないことなんだ」と

知ることがあるでしょう。

 

誰しも分別(ふんべつ)や正しい行ないが

最初から身についているとは限りません。

大人になってから平気で悪事に手を染める人は

子どもの頃にちゃんと叱られていなかったのかも知れません。

 

また、いずれ社会で叱られる体験をするのだとしたら、

叱られることへの耐性が身についていないと

打たれ弱さになるという懸念もされます。

ちゃんと叱られる体験があっても良い、ということになります。

 

ちなみに、しつこい叱り方では

心にじわじわ反発が生じだしたり、心が折れたりするので、

そうならないように、

スパッと明快に叱って早く切り上げたほうが

より効果的だと考えられています。

 

では、叱ることの良くない点はどこでしょうか?

 

叱られて、

やる気が失われてしまったり、

自信が無くなるのであれば、

叱ることそのものが問題です。

スパッと明快に叱ったとしても、そうなる危険性は残ります。

 

お互いの関係性が気まずくなるかも知れません。

 

叱られた体験の影響で

社会に対する不信感をいだいたり

他の人に対して過度に厳しくなってしまうとしたら、

それも困ったことです。

褒めると叱る

褒めるにも、叱るにも、

それぞれに

良い点と良くない点がある

と言えるでしょう。

 

褒めたり叱ったりするのは

実は難しいのです。

 

そうです、難しいのです。

上手にできる人もいますが、

誰にでも上手にできるものではありません

 

では、別の視点で考えてみましょう。

褒める・叱る、というだけが関わりでしょうか?

それ以外の選択肢もあるので紹介します。 

ねぎらうについて

誰かがなにかに労力をさいたとします。

結果や成果には関係無く

その「がんばった」というところに注目するのです。

 

褒めるに似てますが、微妙に違います。

いえ、実際には褒めると重なっていても結構です。

 

ここでは

ねぎらうという関わり方について考えてみましょう。

 

まず誰かのことを頭の中で思い描いてみてください。

その人なりに何かに取り組んでいるとしましょう。

他者との比較ではありません。

失敗でも成功でも関係ありません。

けっして評価ではありません。

本人の思いが「良かった」か「悪かった」か、どちらでも構いません。

労力の大小にかかわらず、

なにかに労力をさいているのです。

その話を見聞きして、内容を理解して、

感想として「がんばったんだね」と言葉を添えるイメージです。

「大変だったんですね」など言葉は様々にあるでしょう。

 

それがねぎらいです。

ねぎらいによって

ねぎらわれると、

「もっとやろう」というやる気が湧いてきたり、

いわゆる『自己肯定感』や、『自己効力感』、『自尊心』にも繋がるでしょう。

 

それで増長するでしょうか?

いくらか調子に乗ったとしても、

変に油断したり尊大になるまでは、あまり無いかも知れません。

副作用のようなものをあまり心配しなくていいのです。

 

たぶん、褒めるよりも楽でしょう。

 

さて、

ねぎらわれることになじんだとしましょう。

逆にねぎらわれないと、叱られるのと同様に、

本人が「あれ、自分がしたこと間違いかな」と気づくのかも知れません。

 

叱る代わりに、

「あ、そんなことするんだ。

それはねぎらえないな」というような

シレッとした態度で、

ねぎらわない。

なにも言わない。ノーコメント。

せいぜい「へー」と反応する感じです。

 

たしかに事前にねぎらう・ねぎらわれる関係ができていることを

前提にしてはいますが、

叱るよりは難しくないように思います。

 

ねぎらわれないことによる

デメリットはあるでしょうか?

 

例えば、

それで『自己効力感』や、『自己肯定感』、『自尊心』が下がるでしょうか?

別の人に厳しくなったり、世の中に不信感を持つでしょうか?

叱られるのに比べると、リスクが低そうです。

 

もう、この時点で、

少なくともこのブログでは

ねぎらいは良い、という流れになってきました。

そういう風に話を進めてきたからですが、

腑に落ちていますでしょうか?

 

もちろん、

褒めるや叱るを否定するつもりはありません。

それぞれの良さや必要性は認められるべきです。

その上で、

ねぎらいの方が

比較的、選びやすいのではないかと私は思います。

 

教育だけではございません。

どんな人間関係でも、ねぎらいは

相手にも自分にも良い効果が期待できるでしょう。

 

褒める・叱るは上下の関係性になりかねませんが、

ねぎらうは、対等な関係でも、

または目上にあたる立場の人に向けてでも大丈夫です。

どうすれば ねぎらえるのか

最後に、

ねぎらいのポイントを挙げておきます。

 

まず、

その1>

なにに労力のさいているのかを知ること

 

ねぎらうためには、

相手が何にどれだけ労力をさいてきたかを理解していきます。

耐えてきたことも含まれます。

そのために本人の話に耳を傾けるのです。

これが不充分だと、

何を言われても、ねぎらわれた感じがしないでしょう。

 

その2>

こちらの物差しで評価しないこと

 

労力は、あくまで当人にとってのものです。

ねぎらう側は、

労力をさいた点に注目するのであって、

主観で評価を加えてはいけないのです。

 

<その3>

ねぎらいの練習

 

いくら褒めるや叱ると比べて選びやすいといっても、

ねぎらいが簡単とは限りません。

とりあえずは心の中で、いろんな人に

無言のねぎらいを向けてみましょう。

「がんばってるね」「苦労したんだね」

「これまでのがんばりは長かったね」「我慢したんだね」

「そんな思いをしてきたんだね」…

身の回りの人に限らずテレビの芸能人にでも良いと思います。

ねぎらいの練習です。

自分自身がその日にしたことをねぎらってみるのも良いでしょう。

まずは練習から。

人間関係と心理カウンセリング

今回は、

褒める、叱る、ねぎらう、

これらについて書いてきました。

 

褒める・叱るは、

上手くできればそれは良いと思います。

ねぎらうは、

難しさが低いと思います。

 

そうだと分かっていても、

「ねぎらう気持ちにもなれない」という

心境の方もいらっしゃると思っています。

 

「そんな理由で心理カウンセリングを…?」と

思われるかもしれませんが、

心理カウンセリングは、

悩みやつらさを感じている方のためだけではなく、

心を整理していく場として利用していただけると

良いと思っています。

 

「頭で分かっても、そんな気持ちになれない」といった思いも

心に関することだからです。

 

ひとを、自分を、自然にねぎらえる心境を

一緒に探していきましょう。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

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