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誰かといても孤独

扉絵

「孤独はつらい」と言われます。

 

「孤独はつらい」と心で感じるのです。

それは、なぜでしょう?

 

もしかすると生物である我々の遺伝子に

「孤立の状況は危険」という情報が

インプットされているからなのかも知れません。

 

ところで、

「孤独」と「孤立」という言葉が出てきましたが、

どう違うのでしょうか。

改めてその違いを整理していきたいと思います。

孤立とは

孤立とは、

ひとりきりで、助けの得られない状態にいる

という意味です。

 

ネガティブな側面を挙げるなら、

「孤立無援」という言葉があるように

助けが無く

気持ち的にも立場的にも不利な状態にあります。

 

逆に

ポジティブな面とすれば、

現実という意味での

人間関係の様々な

わずらわしさが無くて済むことでしょう。

割り切ってしまえれば

好きにふるまえて気ままなものです。

 

かなりザックリした説明ですが、

孤立についてはそういうものと考えます。

孤独とは

孤独とは

本人と他者との間に心の交流や理解が無いことと言えます。

 

また、

『孤独感』は、心が孤独のつらさを感じることです。

 

『孤独感』のつらさには、

最初に述べたような遺伝子レベルでの孤立を避けたがる傾向に加えて、

他者と関わる際の情の感覚関係しているのかも知れません。

 

情にまつわる交流は、理屈抜きで

心を豊かにしてくれます。ホッとしたり、嬉しかったり…。

孤独は、それが無いということです。

それはむなしいはずです。

 

孤独のネガティブな面を挙げるとしたら、

『孤独感』の感覚的なつらさだと言えるでしょう。

孤独にさいなまれて気を病んだり、冷静さを失って

なにかしら客観的には良くないとされる行為に

およぶことが心配されます。

 

ポジティブな面に関してはあとで解説することにしましょう。

ここでいったん、孤立と孤独の意味を整理します。

孤立と孤独の違い

孤立は、

ひとりという現実の状態もしくは状況

指す時に使います。

 

孤独は、

『孤独感』というつらさを感じる状態で、

心にまつわることと言えるでしょう。

 

似ていますが、区別することが理解の第一歩です。

孤立や孤独を避ける努力

孤立や孤独を避けるための努力をする人もいます。

 

例えば、

見栄を張って無理のある行動を続けたり。

言いたいことを言わずに我慢したり。

周りの動きに同調をし続けたり。

積極的に誰かとの関係を作ろうとしたり。

などなど…。

それらは、孤立を避けて、

『孤独感』を感じることも避けられると意図した行動です。

 

ですが、

孤立や孤独を避ける努力が続いた結果、

どこか無理のある関係性やコミュニケーション、

そこでのストレスを経て、

疲れ果ててしまうこともあるのです。

 

「孤立はイヤ」「孤独もイヤ」なのは分かりますが、

気をつけなければ、

その努力の末に心の調子を崩してしまう場合もあるのです。

孤独のポジティブな面

さて、

孤独にポジティブな面はあるのでしょうか。

ついネガティブな面が注目されますが、

あらためて言葉の意味に立ち返って考えてみましょう。

 

孤独とは、

本人と他者との間に心の交流や理解が無いことでしたね。

ネガティブな面は『孤独感』のつらさでした。

 

それでは、そのつらさとは別の

ポジティブな面にも注目してみましょう。

 

例えば、

見栄を張らずに、無理せずにいられる。

言いたいことを我慢せずに言える。

度のすぎた同調から解放される。

などなど…。

それは、言わば心にとっての自由。

 

周りに流されずに

より自由な自分でいられるのが

孤独の良いところでしょう。

 

ひとりで食べ歩きをする

「孤独のグルメ」という漫画・ドラマ作品がありますが、

そのタイトルには「孤独の」とつきます。

あれのことです。

主人公が常にひとりで飲食店に入り、

誰にも気兼ねすることなく、

自分のグルメの価値観と

トコトン向き合うという内容の作品なのです。

 

確かに、

「孤独のグルメ」においても

ひとりで食べるという孤立の状況を設定してはいますが、

ここで適用されるのは孤独のポジティブな側面です。

 

これで

孤立のネガティブ面とポジティブ面、

孤独のネガティブ面とポジティブ面が出そろいました。

これらを押さえれば

孤立と孤独は区別できるのではないでしょうか。

誰かといても孤独

ここで、

ブログのタイトルにある

「誰かといても孤独」について書きたいと思います。

 

誰かといても孤独を感じる時とは

どういうことでしょうか。

 

孤独とは、

本人と他者との間に心の交流や理解が無いことです。

 

誰かと一緒にいても

心の交流や理解が断絶しているなら

孤独感を感じることもあるでしょう。

 

ただの価値観の違い、感性の違いかも知れません。

話題や話のテンポが合わないだけかも知れません。

ですが相手と「分かり合えない」と感じた時に

実はその瞬間、孤独に針が振れているのです。

ほんの、ほんの一瞬かも知れません。

その断絶に気づかない人もいるでしょうけれど…。

それが続くと

『孤独感』は強まっていくのでしょう。

 

誰かといても孤独はあります。

誰かといながら『孤独感』に打ちのめされることもあるでしょう。

 

現実の問題は

誰かといても、そこに交流や理解が不足してしまっている孤独です。

一方、

心に関しては、交流や理解が失われた状況や状態をつらいと感じること。

当然、世の中には、そうした『孤独感』をいだくことが苦手な人も多くいるのです。

 

孤独感の問題

孤立にも、孤独にも、

ネガティブな面とポジティブな面がありました。

いずれも、

バランスがとれれば最良です。

 

バランスをとれなくさせるのは、なにか。

その多くは『孤独感』からではないでしょうか。

 

『孤独感』のつらさ、その怖さに引っ張られて、

孤立や孤独をバランスよく使いこなすのが難しくなるのです。

 

『孤独感』のつらさの感じ方はひとによって違います

たいして感じないひともいれば、

猛烈にさいなまれるひともいます。

 

どうすれば『孤独感』を克服できるのか、

湧いてくる『孤独感』にのみ込まれずにつき合っていけるのか、

その道のりはきっと、ひとそれぞれなのでしょう。

心理カウンセリングでは

これまでに味わった孤独のつらさを癒して心を回復し、

今後も現実に起こり得る孤独に耐えられるようになるために

できること…

その基本は

心が「孤独ではない感覚」になじんでいくこと

私は考えます。

 

いわゆる一般的な説明ではないかも知れません。

情の欠けた冷淡な表現に思われるかもしれません。

ですが、

心理カウンセリングの意味というものを

次のように述べさせていただきます。

 

「孤独ではない感覚」とは、

自分と誰かとの間に心の交流や理解がある感覚のことです。

心理カウンセリングは

心にある思いや体験をカウンセラーに伝える場。

その体験を重ねていく場とお考え下さい。

 

理想を言えば、日常の中で

『孤独感』が癒されるような

気の合う誰かと出会えればそれが良いのでしょう。

 

ただ、

心理カウンセリングは日常の生活とは違います。

心理カウンセラーと会うのは決まった時間だけです。

その時間は日常生活の一部でもあるけれど、

場面としては「特殊」と言いましょうか

「日常ではない」とも言えます。

その場では、時間の限りがあるとはいえ、

話したい内容を話したいテンポで

個人的な思いを存分に語って良いのです。

  

そういった取り組みを通じて

心にとって孤独ではない感覚を味わっていただき、

そして

『孤独感』のつらさというものに引っ張られない心を

一緒に育てていきたいと考えています。

 

心理カウンセリングをご検討中の方も、

心理カウンセリングをご利用にならない方も、

ご参考にしていただければ幸いです。

鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

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※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

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 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    



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