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事実と真実

扉絵

今回は、

『社会構成主義』や『相対主義』について書いた前回のブログ

事実という概念について」の続きです。

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真実 と 事実

 

このふたつの言葉は、似ているけれど、意味が違います。

 

真実は、ひとつの事柄に関してひとつです

事実は、ひとつの事柄に関していくつもあります 

真実とは

真実はいつもひとつ。

 

言わば神の視点(その場合は真理とも言います)のように、

絶対的で唯一無二なものの見え方・見方が真実です。

 

条件がどうとか・タイミングがどうとか・

ひとによってどうとかで変化しません。

ブレない。迷い無い。別の見え方・見方があるという発想はしない。

異論を認めない。…真実とはそういうものです。

 

探偵が、事件の真実(真相)を言い当てる時、

犯人にとっての事情や言い分などは考慮しません。

目的が事件の解決だから、それでいいのです。

 

しかし、これがコミュニケーションでは?となると、

もしも誰かが自分の主張を真実であるかのように打ち出したなら、

相手とやりとりをする余地は失われて

成り立たなくなってしまうかも知れません。

論破とか正論によって関係をギスギスさせるのが

まさにそんなところでしょう。

いろんな事実とつきあっていく

『社会構成主義』や『相対主義』の考え方では、

人と人とのやりとりは、

様々な事実によって織り成されているとされます。

 

「事実は人の数だけある」とも言われていますし、

実際は、ひとりの人から矛盾した事実さえ出てくるでしょう。

 

 

ひとつの事柄に対して見え方・見方はひとつではありませんし、

時間とともに変化もすれば、

見る角度によって印象が変わりもします。

(詳しくは『事実という概念について』参照)

 

 

「こうかも知れない」

「こうも言える」

 

その余地を残すことでコミュニケーションが生まれるのです。

いろんな事実とつきあっていく姿勢が肝心なのです。

真実の誘惑に気をつけて

ここで、「真実の誘惑」という言葉を紹介したいと思います。

 

真実には、シンプルさ・強さ・迷いの無さ・頼りやすさといった

魅力的な性質があります。

それに惹かれることを「真実の誘惑」と呼びます。

シンプルだとか・強いとか・迷いがないとか・頼りやすいとか、

惹かれるというのも分かりますね。

 

しかし、主張を真実っぽくふりかざせば、

相手にとっての事実をやり込めたり排除に動いてしまいます。

真実に惹かれるというのは、都合よくもあり、あやうさもあるのです。

 

「真実の誘惑」に駆られないよう気をつけて、

不確かではあるけれど、

いろんな事実とつきあっていきましょう


補足:「真実」の別の意味

ひとつの単語が複数の意味を持っていることがあります。

蛇足ですが最後に、その点を書き記しておきたいと思います。

 

多くの単語がそうであるように、

「真実」という言葉もまた、複数の意味を持っています。

ここで挙げた「真相」「真理」に通じる

「これが正しく、他を認めない」という意味もありますが、

「真相」とも通じている「嘘ではない」という意味もあるのです。

 

「嘘か、はたまた真実か」と言いますよね。嘘、対、真実。

 

この意味の場合は「嘘を言っていなければ真実」なので、

「嘘を言っていない限り、誰もが真実を語っている」

もしくは「その人がその人なりに語っているという真実」と

みなすことになります。

 

『ミステリと言う勿(なか)れ』という漫画作品では、

関係者それぞれの見え方が違うだけで

誰も嘘は言っていないという意味で、

「真実は人の数だけあるんですよ」と

主人公のトトノウ君が言うセリフがあります。

 

どちらも事件と向き合うタイプの漫画ではあるけれど、

『名探偵コナン』のコナン君は事件の真相のことを「真実」と言い、

トトノウ君はそれぞれの見方に嘘がないことを「真実」と言っているのです。

「真実はひとつ」とも言えるし、

「真実は人の数だけある」とも言える、

別に、ふたつの作品で言葉の矛盾をしているわけではないんですね。

 

さらに、話は戻るようですが、

コナン君やトトノウ君が「真実」に辿り着けるとみなすのに対して、

『社会構成主義』『相対主義』を含む多くの哲学では、

人間が真実に辿り着くことはないと考えます。

 

別の言い方をすると、

嘘(ごまかし、見落とし、無知、見方の偏り、いつわり、など)の

全く無い完璧な人間などはこの世に存在しない

という考え方をしてきました。

心をあつかう心理学もそうです。

 

絶対的で唯一無二なものの見方である

真実は神の領域であり、

人間の所業ではないというわけです。

 

「事件の真相」や「嘘でないこと」という意味での真実には辿り着けるけど、

哲学的に「絶対的な見方」としての真実には神様でない限り辿り着けない、

ここでも「真実」という言葉の使い方が違っているのです。

 

日本語って難しいですが、

どれも間違いではありません。

真実という言葉にも複数の意味がある、それが事実なのです。

 

ちなみに、『ミステリと言う勿れ』の作中で

トトノウ君は、誰もが納得する真相を「事実」と呼びます。

そのため、

このブログでの「事実」をトトノウ君は「真実」と呼び、

このブログにとっての「真実」をトトノウ君は「事実」と呼ぶ

という表面的な言葉の逆転現象が起きています。

事件と向き合うタイプの作品ならではの言葉遣いでしょう。

実際に、刑事さんや弁護士さんはそのように言うようです。


鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

>> はじめまして

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<参考>

名探偵コナン (10) 1996 青山剛昌 小学館少年サンデーコミックス

ミステリと言う勿れ(1) 2018 田村由美 小学館フラワーコミックスアルファ


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