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自分の心に触れる

扉絵

人はそれぞれが

それぞれの心を持っていて、

心を使って生きています。

 

そんな心の悩ましさを挙げるなら、

自分の心でも

自分の思い通りにいかないところがある

という点でしょうか。

心に触れられない心理状態

時として心は、

自分自身に触れられることさえ拒みます。

実感のある本心に近い部分に触れられなくなるのです。

 

例えば、

・冷静ではない時、

・心の苦痛や葛藤をともなう場合、

・不慣れ、

・メンタル的なスタミナの余力の低下、

・現実のプレッシャーや忙しさ、

などが理由となります。

 

様々な形で、

自分自身の心であるのに

自分のものとして使ったり感覚を味わったり

できなくなってしまうのです。

それが、ここで

心に触れられない心理状態と呼ぶものです。

 

自分の心に触れないままでいると、

どこか腑に落ちない感覚や、

空回りした感覚、

行動や発言に実感をともなわないことに

おちいりやすいのです。

自由に自分の心に触れるために

自分自身の心に自由に苦痛無く触れるための方法。

それは、ひとつではありません。

事情は様々にあるはずです。

あくまでそのうちのひとつの形ですが、

心の中の『自己評価』や『自己批判』が妨げになっている場合は

どうでしょう?

 

心の中に高いハードルを作っている

『自己評価』や『自己批判』から

距離をとることで、

冷静さが確保されたり、

心の苦痛が減ったり、葛藤が緩んだり、

不慣れなことへの抵抗感が和らいだり、

メンタル的なスタミナの消費が減ったりする

と考えられます。

 

『自己評価』をせず、『自己批判』をせずに、

自分のありのままを受け容れるところから進めていく

という考え方です

 

ですが逆に、こうも言えるでしょう。

そこに次のような思いがあるとします。

『自己評価』や『自己批判』から距離がとれず、

ありのままを『自己受容』できないからこそ、

心に触れられないのであって、

「距離がとれるのなら、そもそも苦労はしない」という思いです。

そこで堂々巡りが生じて

「『自己評価』や『自己批判』から自由になれる気がしない」

「どうせ無理だ」

のような心理状態におちいる懸念も考慮しなければなりません。

 

心に触れるのを妨げる『自己評価』や『自己批判』から

距離をとるために大事なのは、

自分に合った方法を見つけることです。

その過程では

時間(期間)がそれなりにかかっても焦らないこと

自分の心に役立つ実感をつかむこと

そして、手がかりとなる知識を得ることも重要です。

助けになるものを使って

自分の心に自由に触れられるまでには、

時には、そこ至るまでの段取りが、

時には、充分な時間(期間)が、

時には、ちょっとした実感を得ることが、

時には、言葉を知ることが、

助けになってくれることでしょう。

 

最後の「言葉を知る」というのは、

このブログでは

『自己評価』自己批判』が自分の心に触れる妨げになり、

ありのままを『自己受容』することが

自分の心に触れるカギになる…

といった中に出てきたキーワードのことです。

 

キーワードを軸に知識を増やしたり、

それを巡らせて心を自由にさせていくといったイメージです。

 

では、ブログの後半は

それぞれのキーワードが

どういうものなのかを述べていきたいと思います。

いかに評価の多い世の中か

まずは『自己評価』について。

それをもたらす「評価」の話です。

 

望む望まずに関わらず、人はたいてい

なにかしらの「評価」にさらされます。

 

私もです。私は実際、体育が苦手でした。

目に見えて体力や運動能力は標準よりも劣り、

ボールを落とせば「落としたー」と言われ、

競争や対戦に「負けた」と自覚もします。

それ以来、

自分の運動の「評価」に関してはちょっと心が身構えるようになりました。

もし仮に体育の通知表という評定が無かったとしても、

それは突きつけられる現実だったはずです。

 

「評価」を気にするか・気にしないかは個人差があるとしても、

まったく「評価」にさらされない人は地球上でも極めて少数でしょう。

 

低い評価では自尊心が下がったりします。

一方で、高い評価が必ずしも良いわけではなく、

「また応えなきゃ」といった過度な気負いに結び付くこともあります。

それぞれの人の持つ『性格』も絡みつつ、

心に生じる『自己評価』に結び付くでしょう。

 

まずは、

自らがさらされたり感じていた「評価」についての理解を深めたり、

それがどう『自己評価』に影響しているか

思いつく範囲で何度でも紙に書いてみるのも良いかも知れません。

※ただし、大事なのは自分に合った方法を見つけることです。無理せずに。

どうして批判は生まれるか

次は「批判」の話です。

「批判される」「批判する」。

こうやって文字にしてみると、手厳しい印象の言葉ですね。

それが続くと居心地が悪くなっていきそうなものですが…。

 

「批判」というのは、たいてい、

思い通りではない時や

折り合いがつかない時などに

発生するのでしょう。

他への「批判」や、『自己批判』、どちらもです。

 

それは

する側にとって、心の対処という意味もあるようです。

心の中で「収まりどころ」を見出そうとする対処です。

 

「もし「批判」する必要が無いとしたら」という試みは、

心にとって都合の良い話ではなくなります。

平たく言うと、

「批判」になじんだ人が急にその「批判」をしなくなるというのは

「収まりどころ」を無くすことなので

なかなか難しいものなのです。

特に『自己批判』は心の中で起きるので、難しさが更にです。

 

もし頭の中をグルグルと「批判」の言葉が巡っているようであれば、

まずは、こんな方法はどうでしょうか。

「批判(他への批判や『自己批判』)」を紙に鉛筆で書き出して、

そして、

その紙をクシャクシャにして「ボイ」と言いながら捨てるんです。

書く作業によって気が済んだ状態にもっていき、

捨てることで誰も傷つかないようにするという仕組みです。

※書くと余計につらいなら、別の方法を探ってみましょう。方法はひとつではありません。

ありのままは心の喜びになる

「評価」や「批判」は、

世の中にはありふれたもの。

たしかに、

うまく作用すれば

励みになったり改善に結びつく面があって、

そこは認めるとしましょう。

 

でも、

そればかりだと「評価」や「批判」を気にして

自分自身で心に触れにくくなるおそれがあります。

 

『自己受容』とは、

自分で自分のありのままを受け容れるという意味の言葉です。

目に見えるものも、見えない性質も、心のありようも、

すべて含めた『自己受容』が自然とできるようになっていくと

心にとっての喜びとなるはずです。

 

『自己評価』や『自己批判』とは距離をとって、

『自己受容』の状態を意識して、

自らの心に自由に触れられると良いのではと思います。

 

「その『自己受容』が難しいんだ」という実感のある方は、

苦痛なく自由に心に触れられる実感が得られるよう、

『自己評価』や『自己批判』を整理してみませんか。

※別の理由で『自己受容』が難しい場合もあるので、原因を決めつけることはせずに。

心理カウンセリングでは

川越こころサポート室では、

相談に来られた方のありのままの理解を目指して

お話を伺いたいと思います。

それによって

ご自身の心の中での『自己受容』が促進される

考えられるからです。

 

心は一生もの。

世の中から「評価」や「批判」が消えることはないとしても、

それらにとらわれ過ぎないように、

同様に

『自己評価』や『自己批判』にもとらわれ過ぎずに

自由に心に触れられるよう、

心のサポートをいたします。

鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

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※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

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